No.1242 肯定派

ちゃんすがパーティー狙いな夕食を開催してくれて、たのしいイブ。 ポジティヴな心情しか生み出しようのないこうしたイベントにはできるだけミーハーでいるべきだとおもっている。 クリスマスを喜んでる人にむかってクリスチャンじゃないのにといちゃもんをつけたりだとか、バレンタインがチョコ会社の陰謀だというネタを毎年喜んで披露してたりだとか、そういう人はもっと物事の実態をナマの身体感覚でとらえる訓練をしないとダメだ。 もはや意味が転換してしまっていることを直感で感じ取れる鋭敏さを身につけないとしょうがない。 世界は、その外装も、心も、日々、間違いなく、進化している。 ある時点、ある視点から事実と決めたものなんてのは、瞬間瞬間の直感にくらべたらこれっぽっちも「事実」では無い。 なにがいいたいかといえば、もはやクリスマスというものはクリスマスという名前の冬の情緒をはらんだ恋愛的、家族的、都会的ベクトルのお祭り以上のなにものでもなく、それによって多大な被害を受ける精神の美しい人々がさしあたってみあたらないかぎり、どんどん楽しんだらいいんじゃねーのかこのタコ、ということ。 さらにクリスマスにはこんな側面もある。

純粋贈与の力が贈与と結びつく時、そこには「たましい=霊力」の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる。しかし純粋贈与する力が交換の原理と接触するときそこには資本の増殖が起こり、それは「たましい」の活動を押し殺す。だから現代の私たちの生活、資本の増殖は物質的な豊かさをもたらせても 「たましい」の豊かさをもたらすことはできないのだという。純生産と資本を結び合わせること、それが「資本主義の夢」だ。その夢を少しだけ実現させてみたのがクリスマスである。

ところでちゃんすからクレイヨンのプレゼントをもらった。 蜜蝋をメディウムにした高品質なブロックタイプのもので、発色がよく、透明度をもった重ね塗りができるやつ。 とても綺麗でかっこいい。  あ、あと、なぜか任天堂からカレンダーが届いた。

2005-12-24-SAT

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