No.1272 絶望歓迎

ある種のあきらめは誠実さそのもので、それを受け入れる器のないひとは話していてつまらん。 じぶんがこの人おもろいなーと思う人は、まず間違いなくなにか宙空を見据えるような悲しい目をもっている。 ありとあらゆる時間において「絶望」してきたんだろうなとわかる。 ただ、簡単に「悲しい目」とか「絶望」というワードをそのままとらないで欲しいです。 悲しい目は残酷な目で、正直な目で、誠実な目で、それは樹木とおなじ質の信頼感がある、透明で静かな爆発です。 絶望はものすごく自然なことで、まず絶望するところから世の中がニュートラルに見つめられるようなもの、本来なにをするにも基本となるはずの、精神の媒質のようなものだとおもっています。 奇妙な乗り物にのって、そのスピードを自分のスピードと勘違いして、知らずに汚物を排気するような陽気さ、前向きらしさほど、いびつでみっともないものはないとおもう。 おもろい、愛せる人らはみな、とっくにその乗り物をおりて、あきらめた清々しさみたいなものをみにつけてる。 はやく人の時、終わらないかな、といいながらも、だれよりもいい活動をする。 静かで、強い。 無目的で、強い意志がある。 大きな自然の運行。 樹木。 地形。 法則。 天才。 との共鳴を生々しく知る存在好き。大好き。

ひさびさに、ほんとうにひさびさに水泳にいったならば、体も心も冴えわたり、ちゃんすと延々絶望話でもりあがる。 絶望の影のない人はどうにも世俗に踊らされてる感が否めないんじゃ。 いってること聞き飽きたことばっかで、しかも、おもいきり手を挙げて大声でだぜ。

2006-05-11-THU

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