No.1296 日本の原風景を見た

お昼にドライブに出かけたそのいきおいで、平泉までいってしまった。 なりゆきが一番おもろい。 ずっとブラックゾーンだった山形の右上「最上」を堪能しながらの道中がたまらん。 橋桁関係が妙にかっこいい土地がらにしびれた。 みしらぬ山道をぬけ、みしらぬ温泉街を幾多もとおりぬけ、4号線にぶつかり、左折北上、岩手へ。 ぼくは通り抜けるだけじゃない岩手はたぶん初。 ちゃんすが名前とそのニュアンスだけしっていた厳美渓にいってみる。 ちゃんすのはなしだと、その地域一帯が大昔そのままの地形で、世界遺産になるらしいからそのまえに観ておこうということだったのだが、実際の「厳美渓」とされる観光地はなにやら水の色が青く、岩の質が変わっている、小規模な美しい谷川だった。 いまひとつさきほどの話との関連がわからないが、、まあとても綺麗で楽しいので問題ない。 はじめ、立入禁止の縄ががはられてよくよく川など見えず、しかも人がたかっているところ(まさにこの観光地のメインスポット然としたところ)にいってみたのだがちっとも楽しくないのですぐにはなれ、川に沿ってつづく細い道を下っていき、吊り橋を渡ってさらに下流におりていくと、立入禁止にならずルールのナカでちゃんと川までおりれるところがあって、なんでこちらに人がひとりもいないのかが全然理解できねーなと話ながら、その〈奇妙〉の恩恵をうけてたのしむ。 近くで団子と茶を買ってきて、川を見ながらお茶にする。 あんこやなにかがやたらふだで、濃厚であった。 川の水はあいかわらず異様なほど青い。

続いて平泉中尊寺に移動、途中公一先生おすすめの「池水庵」なるカリスマそば屋の場所を確認し、帰り道の楽しみとする。 中尊寺は、大体想像はしていたが、やはりそうとう感じ受けるものがあった。 寺の後ろにまわり、誰もいないところで心を落ち着かせ、樹齢のいってそうな大きな木をきっかけに用いて時空を超える感覚を研ぎ澄ます。 しばらくして、カチっと入る。 小さい頃から、寺や神社の雰囲気が異常にすきなぼくは、いつのまにかこの技術を体得していたのだが、べつにこれをすることで藤原のなにがしのサイコメトリックができるわけでもなんでもないんだが、明らかに「入った」という感じになれて、ただすげーなーと眺めている場合の数倍気持ちよくなれるのだ。 入っているので、空間ごとに澱んでいるあまりやたらな場所にはないような高潔な気が確かに感じられ、連れてこられて義務的に歩いているような観光客がとても嫌な見え方になる。  宝物殿の最初の仏像3体にはやられた。 あの在りようは、すごい。 しかし金剛閣はいまひとつぴんと来なかった。 ここにある素敵な空気とまるで関係ないもののような印象をうけた。 見た目的にも金箔のぬめっとした質感がなんか逆に安臭くみえた。 ああいう見せ方じゃなくて、もっとナカの仏像や螺鈿細工なんかを近くで見せて欲しい。 覆い堂もふくめて、なんか大きなやりかた(プロデュース)を間違っている気がした。

帰り道、そばやを見逃し、戻り、車を降りるやいなや、のれんをしまわれた。 ほんとうに、すごいタイミングで閉店だったのだ。 ものすごくショックだが、しかたないので次の目的地へ。 時間は17時。  ちゃんすが金剛閣のもぎりのおばやんに聞いたところ、やはり厳美渓の例の観光地のもっと奥に、世界遺産候補の、800年前から姿を変えていない「骨寺村」という農村が残っているらしく、ぜひ帰りにそこを見ようと盛り上り、で、手がかりの少ないナカ、ポスターかなにかにあった空撮の写真の記憶(青い川の上流にその村はあった)を頼りに厳美渓にもどる。 さきほどの団子やの横をすぎ、川沿いの道をひたすら上流にむかって走る。 地形がとても立体的で、山が近く、密で、たまらん。 ふたり興奮して事故りそうになる。 途中、具志堅が床屋をさぼったような髪型(片方は金髪で片方は黒)の双子という冗談みたいなおっさんらに骨寺村はどこかと尋ねると、この道をもう10分もいけば着くというので俄然盛り上がりさらに上流へ。 10分ほど走り、さて、世界遺産候補といっても、まあ道を這っている以上はたんなる農村なわけだから、この景色のすばらしいこの辺がまさにそうなのかしら? なにかしら「う〜ん、ここか〜、いいな〜」というようなポイントはないかしらと、商店のおっちゃんにこういう経緯(いきさつ)でやってきて骨寺村を堪能したい旨話すと、このおっちゃんが実にかわいらしくていいおっちゃんで、とても親身に、「4件先の角の家に、村で一番そのことに詳しい市会議員のまさひろさんがいるからそこで聞いて、ぜひ、堪能してってよ、せっかく山形からきてくれたんだから、あーそう、山形からねー」と、ぼくらのおやつの買い物を7円まけてくれて、興奮するぼくらの心をさらにとてもいい気持ちにしてくれた。 まさひろさんの家にまさひろさんは居らず、とても賢そうないい顔つきをしたその息子が骨寺村情報をまとめた看板がある場所を教えてくれた。 看板はまさひろさんの家からすぐのところ、神社の階段のふところに立っていた。 まさにいまぼくらが川沿いに走ってきた道こそが、例の空撮の真ん中をはしっている道で、この辺かしらといっていた時がほんとにこの辺だったわけだ。 神社にのぼって、山に囲まれ田んぼの広がる、800年前の荘園のひな形ともいうべきその村の姿に見とれる。 これが日本の農村の原風景。  無理矢理意味だけを増幅して楽しんでるわけでも、景色そのものの圧倒的な力にやれれているだけでもなく、その両方がすごく気持ちよく美しく意識を彩ってくれて、とにかく楽しくてしかたない。 ちょうどなにか調べにきていたおじちゃんに挨拶すると、それは地元の人で、いろいろと詳しいことを教えてくれた。 この神社には、道路の拡幅工事などで邪魔になってしまった像とか碑やらが集められているのだが(みるとたしかに面白いほどぎゅうぎゅうに神社にのぼる階段よこの斜面に石碑みたいなものが犇めいている)、そのもともとの場所を知る人も少なくなってきているから、今のうちにちゃんと調べておかなきゃと、そのおじちゃんは仕事か興味かはわからんが、調べてまわっているのだそうだ。 ちゃんすが「ここを世界遺産にする。わたしがする。といっていた民俗学の権威」の話をすると、とてもうれしそうな顔で「そりゃ頼もしい!」とよろこんでくれた。 実際世界遺産になるとなると、川の護岸工事なんかも趣をこわしてしまうから見えなくするような工夫をすることになるのだそうだ。 家も茅葺きにしたりするのかしら。 住んでる人らはどうなんだろ? 迷惑か、名誉か。 面倒か、楽しいのか。  あるいはまさひろさんだったかしれないおじちゃんとわかれ、うねうねとうねった細い田んぼのくろを歩き、荘園のへそにあたるところに立つ祠のようなものを拝み、大満足で帰路につく。  1日2本しかこない時速30キロのバスのうしろを、しばらくあえて楽しむ。

帰りは途中から高速にのって、2時間ほどで家につく。 運転しすぎて異常なほど肩がこったが、ありえないくらいみっちり(のばした状態で10分くらい維持)ストレッチしたら、一撃でなおってしまい、ストレッチって、こんなにすごいものだったんだと、あらためて感激する。  駅前で餃子とラーメンを食べ、家に帰り、脇目もふらず布団に入る。 さすがに疲れた。

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